むらなが吟 日本縦断 徒歩 歌い旅 完歩

 

応援ありがとうございました

3.11~8.18 約3600Km・161日間 北海道~鹿児島 無事完歩






























※沖縄県に関しては交通手段が船・飛行機となるため、徒歩でのゴールは本州最南端の鹿児島県佐多岬とし、最終ゴールは沖縄県波照間島、日本最南端の地を目指した。



「日本縦断 徒歩 歌い旅」を終えて

東日本大震災では多くの被災者の方々が、防寒着もなく雪の降る中、寒さに耐えていたことを思うと南からの出発ではなく、
冬の北海道からの道を選びました。

2013年3月11日、北海道宗谷岬出発。被災地の復興を願い、熱い思いを歌に乗せ日本本土最南端「佐多岬」を目指し、
ひとりで歩く日本縦断徒歩歌い旅。

一瞬にして愛する家族や身内を失い、一瞬にしてふるさとや思い出も失い、2年経っても先の見えない復興。
福島は一歩も前に進めない現実、生の声を聴き感じ、この目に焼き付けようと・・・
時には批判誹謗もあり、その度に心は大きく揺れました。
それでも温かい応援や支援を頂き、最後には皆さんがずっと一緒に歩いてくれていたことに気がつきました。

56年間生きてきた自分は、自分を知っているつもりでいた。でも、知らなかった。それに気付くことができた。
見ず知らずの人に声を掛けてもらえることは素晴らしい。その度に優しい気持ちになりました。
そのうち、見ず知らずの人に笑顔で自分から声を掛けるようになりました。 なぜか、さらに深く人の優しさが心に沁みました。

この旅は原発事故の真実、当時の政府への不信、マスコミ批判、半ば怒りと嘆きが原動力でした。
しかし、季節を肌で感じ、人を心で感じ、日本の地を歩いて見ると、時間とともにその感情は変わりました。
忘れかけていた先人の方々が残してくれたこの美しき日本。
日本人としての心。
人としての心。

徒歩の私の旅は161日間で終わりましたが、まだまだ終わらない復興。
明るい日本の未来のため、悲しみを乗り越え、困難に立ち向かい、手をとり、心をひとつに。
優しさを持って。

            2013年8月19日 むらなが吟



なぜ、歩いたのか?

東日本大震災震災から1年が経った、2012年3月11日。
名古屋から被災地の岩手県釜石市まで徒歩1,000Km歌い旅を決行し、完遂したむらなが吟。 その旅の目的は震災後の被災地で出会ったおばあさんにもう一度「歌」を届ける為、1,000Kmの道のりを歩いて行けば少しでも被災者の方の心の痛みがわかるのではないかとの思いから。しかしこの時、福島周辺を通過の際には原発事故は未だに問題を抱えたままであることを知り、他の地方では放射線の問題は既に終わっていると思っている人も多いことも。報道されない事実、真実は一体どこにあるのか。そして原子力発電とは何なのか。私たちはいかに時間短縮と利便性を追求してきたのか。歩いたことにより、普段見えなくなっていたものが見え、感じられなくなっていた空気を感じ、聞こえなかった声が聞こえてきた。
むらなが吟の父親は福島県出身であり、自衛隊(19~23歳)在籍中には災害派遣を経験。当時、身内の一人が福島第一原発の復旧作業員として「ふるさとの為に」と、毎日通っていた。原発事故から1年半後には福島県浪江町へと出向き、ガイガーカウンターを持ち、その現状を目の当たりにした。
日本の負の連鎖を打破する為、自らが見、聞き、調べ、知り、感じた事実を「生の声」で伝えなければならない。
震災から2年を迎えた2013年3月11日、日本人としての熱い思いを音楽に乗せ、日本縦断161日間・約3600Km徒歩での歌い旅に出た。